地方局の仙台放送のアナウンサーだった私は、アナウンサーコンクールで日本1位で表彰されました。
なぜ私は日本一になれたのでしょうか?
しゃべりがうまいだけのアナウンサーはたくさんいますが、私が「人を動かす話し方」のコツを身につけたからです。
「そうは言っても、人を動かすのは難しい・・・」
このように悩んでいる人は多いです。
それは人を動かす話し方、伝え方についての誤解があるからです。
その誤解を無くし、「話し方」のコツを体得する研修を、プロの話し方の技術を長年にわたって磨いてきた菅原美千子が提供させていただいています。
でも、最初からうまく話せたわけではありません。
・
【アナウンサーへの憧れ】
両親共働きだったので、保育園ではいつも「お残りさん」。夕方5時過ぎまで、母の迎えを待つ日々。
私の日課は、私と同じように親の迎えを待っている年下の子供たちに、絵本を読み聞かせることで、朗読が大好きでした。
小学校のときには、弁論大会に出たり、詩のコンクールで入賞したりしました。いずれも、先生にすすめられてのことでしたが、このとき私は幼いながらも、「私は、何か表現したり、お話することが好きだ」と感じていたのだと思います。
そして、いつしか、TVを見ていて、アナウンサーという仕事に憧れるようになりました。
特に、ニュースの現場に出る仕事に強く憧れました。
「ニュースキャスターになりたい!」
そこで第一希望は、当時人気NO1のフジテレビ。
3000人の応募から選考され、最終の20人まで残ったのですが、残念ながら受かりませんでした。
しかし、その1ヶ月後に、同じフジテレビ系列の仙台放送に入社が決まり、アナウンサーになるという夢をかなえることができました。
希望で胸がふくらみました。
しかし、これは試練の始まりでした・・・。
・
【新人時代の失敗】
入社1か月で、お花見中継を担当することにました。
公園の桜の下でお花見している家族に突撃インタビューをするという設定です。
しかし、結果は散々でした。インタビューの基本ができていなかったからです。
私がした質問は次のようなもの。
「みなさん、ご家族なんですか?」
「うわ~、おいしそうなお弁当ですね。お母さんが作られたんですか?」
「こちらの公園には毎年いらっしゃるんですか?」
これらの私の質問に対して、相手から返ってきた答えは、
「はい、そうなんです・・・」だけ。
まったく、会話を広げることができませんでした。
焦った私は、一人でべらべらしゃべり続けるという大失態・・。
局に帰ると、アナウンス部長から大目玉。
「お前なあ、中継に行ってるのに、花見客のインタビューがたった10パーセントで、お前が90パーセントしゃべってどうすんだよ!いったい、何しに行ったんだ!」
私の眼には涙がじわーっとあふれてきました。まったくそのとおりだったからです。
「よく、VTRを見直せ。なぜ、花見客の生の声をたくさん引き出せなったのか、よく考えろ」
私は、その晩泣きながら何度もVTRを見ました。そして気づきました。
私がした質問は、すべて、私がその場で見た情報を言っているだけです。
つまり私から見て、「こうなんじゃないか」という仮説の考えを、ただ相手にぶつけていただけ。
つまり質問の形式がクローズドクエスチョンばかり。
とにかく質問が下手だったのです。
相手が自由に答えられる質問にしていれば、もっと相手は話しやすかったのです。
私は、そのとき身を持って知りました。
「アナウンサーって、ただ綺麗にしゃべれるだけでは半人前なんだ。
話を聞くプロになって初めて、アナウンサーとしての仕事が務まるんだ。」
・
【突然の人事異動】
入社して2年目で、スーパーニュースのお天気キャスターになりました。
私は、仕事に熱中しました。
日々、天気に関する取材もしましたが、将来はメインキャスターになりたいという夢がありましたので、積極的に行政ネタなど、他の取材にも取り組みました。
・
しかし、ある日、突然、人事異動の辞令が下ります。
報道部とアナウンス部兼務 という辞令です。
私はそれまで、当然のことながらアナウンス部の所属でした。
が、今度は「報道部員」としての仕事も兼務するということです。
もっと言うと、TVに出る仕事自体が減るということになります。
・
私は、あくまでもアナウンサーとしてのポジションにいてニュースの仕事をしたかったので、報道部員になることは不本意だったのです。
上司に直訴しましたが、
「もう、決まったことだから」の一点張り。
そしてさらに、ほぼ同時期のタイミングで、お天気キャスターの座を後輩に譲ることになったのです!
なんと私のレギュラーはゼロ!
ショックで夜も眠れなくなりました。
見かねた同僚が、ラベンダーオイルのセットをくれたりしましたが、精神的にはとても辛い日々が続きました。
半年くらい経ったころ、まったく別の部署の上司が食事に誘ってくれました。
暗い表情の私を見て、見かねたのでしょう。
私は、その上司がじっと聞いてくれるのをいいことに、愚痴りまくりました。
「こんなはずじゃなかった」
「何で一生懸命頑張ってきたのにこんな目に会うのか」・・・。
ひとしきり私が話して、落ち着くと、上司が切り出しました。
「なるほどな。確かに気持ちはわかるよ。
でもさ、お前、いまアナウンサーで報道部を兼務してる人間はいないよね?
それって、すごいアドバンテージじゃないか。
他のアナウンサーの誰よりも、ニュースの現場にいて勉強できるってことだろ?
今、ふてくされてる場合じゃないと思うけどね・・・。」
・
その言葉は心にグサリと刺さりました。
正直なところ、被害者意識だけで、文句ばかり言っていた自分に気付きました。
・
この日を境に、私は意識が変わりました。
「自分が関わるすべての現場から、学ぼう。
この先、どうなるかわからないけど、この期間をどう過ごすかは、とても大切だ」
と気持ちを切り替えることができたのです。
話し方の技術、質問の技術など、話を聞くプロとしての技術を現場で学ぶことができ、私にとって本当に大きな経験になりました。
すると、そこから奇跡が起きたのです!
それから半年して、転機が訪れました。
フジテレビ系列のアナウンサーが競うFNSアナウンサーコンテストで、全国グランプリ第1位を受賞したのです!
歴代の仙台放送アナウンサーで、グランプリを受賞したのは初のことだったのです。
社内表彰もされることになりました。
これまでの人生の中で、そのときの嬉しさは、心震える体験の一つです。
・
さらに、その春から、念願のスーパーニュースのメインキャスターを担当することが決まったのです。
腐らずに自分の技術を磨くこと、向上することの大切さを思い知りました。
・
【フリーは不利?】
2000年にフリーとなり、東京でアナウンサーの活動を始めました。
TBS系の「BS-i」で、3時間の生放送の報道番組のメインキャスターとなりました。
毎朝3時間の生放送を、約3年間務めました。
特に印象に残っているのは、911アメリカの同時多発テロです。
何の情報もない中、たった今、飛行機が激突した映像を繰り返しながら原稿を読み、コメントをいい続けなければいけません。
話がうまいだけのアナウンサーでは務まらない、アドリブ力がとても必要な一日でした。
また参議院選挙特番、年金問題の討論で国会議員を招いての特集など、多くのニュースの現場に携わりました。
そのあと、地上波の朝の情報番組「ウオッチ」という番組のリポーターを務めました。
全国で起こっている事件・事故の現場でリポートをする日々です。
・
が、私はこの時期、実はとても悩んでいました。
リポーターの仕事は24時間体制で、徹夜もしょっちゅうあり、体力的に疲れていたこともあります。
しかし、一番大きかったのは、「不安」です。
フリーのアナウンサーは、100かゼロかの仕事です。
番組が終了すれば、自分の仕事もゼロになる可能性は高くなります。
またそこから、ひとつひとつオーディションを受けながら、仕事を探すことになります。
そのような不安定な環境の中で、頑張り続けることに疲れてしまったのです。
「このまま、不安定なままで自分の将来は大丈夫なのか?」
「そもそも、自分が本当にやりたかったことは何だろう?」
今から思えば、金属疲労のような感じでした。
ポキッっと、自分の心が折れてしまいそうでした。
私は、悩んだあげく、アナウンサーという仕事から離れてみようと決心しました。
・
たまたま、以前、取材で出会った「コーチング」について学んでいて、興味があったので、ネットでコーチングの専門会社を探してみたのです。
すると、コーチングの世界では誰もが知る、有名な企業が社員を募集していることがわかりました。
気軽な気持ちで行った会社説明会から、面接とトントン拍子で進み、気がつけば、内定をもらっていました。
これはチャンスなのだと考えて、入社を決めました。
・
【コーチングスキル研修】
それから3年半、ビジネスコーチの資格を取得し、営業もやりました。
全国の上場企業を飛び回って、講師として、マネージャー層にコーチングスキル研修をする忙しい日々が続きました。
会社の経営者やリーダーを対象に、効果的な話し方や見せ方に関するコーチングも実施するようになりました。
・
私は、自分がアナウンサーだったころには、「自分が、話し方や伝え方が上手なのだ」ということを特に意識したことはありませんでした。それは、当たり前のことだったからです。
でも、企業の経営者、リーダーとお会いするうちに実感しました。
「効果的な話し方や伝え方の能力というのは、『特殊なスキル』なんだ。
これを身につけることは、ビジネスマンにとって、非常に重要だ!」
・
そして、「私のこれまでの11年間のアナウンサーの経験が、ビジネスマンの役に立つんだ!!」
と気付かされました。
私の長い間かけて学んだことを、多くの人に伝えていこう!
もっと話し方、見せ方、魅せ方を学んでいただき、ビジネスが大きく飛躍するお手伝いをしたい!」と決心しました。
・
【そして、現在から未来へ】
研修専門会社を7年経験した後、2008年に独立しました。
現在は、有名企業で、リーダー向けの、将来のビジョンを創ってもらう研修や、リーダーのためのコミュニケーション講座、
効果的な話し方・伝え方のトレーニングなどを実施しています。
様々な人との出会いに感謝しながら仕事をしている日々はとても充実しています。
私が長年かけて身につけた技術が、みなさまのお役にたてればこれほどうれしいことはありません。
ぜひ、セミナーでお会いできればと思います。
・
プレゼンスデザイン代表 菅原美千子